のちに「アラブの春」と呼ばれた、アラブ各国で発生した反体制運動のきっかけは、2010年末にチュニジアで起きたある若者の焼身自殺でした。

ネットを介しあっという間に広まったこの事件をきっかけに、若者の高い失業率と政権の腐敗に対する不満は大規模なデモへとなり、大統領が国外に亡命する革命へと発展しました。

フランス在住のアラブ作家、タハール・ベン・ジェッルーンによる「火によって」は、この焼身自殺の青年をモデルにした短編です。主人公ムハンマドの視点で淡々と語られる過酷な状況を読みながら、読者は主人公と共に結末へと圧し潰されていきます。

残念ながらアラブの春ののち、多くの国で揺り戻しがあり、かえって政情不安定になってしまった国も少なくない中、チュニジアは唯一の成功例とみなされています。

一時の熱狂だけではより良い世界を維持できなかったという厳しい現実を踏まえ、いま改めて読む価値のある一篇です。